越谷の仲間たち

新店舗を作った仲間たち!!
これからもあの時の熱情覇気仲間意識をもって爽やかに健やかに元気よく!!
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | - | -
孫の啓太です。
孫の啓太
6月11日誕生

孫啓太
6ケ月後の啓太

今年の私にとって一大出来事は娘に苦節6年目に孫が誕生したことでした。良かった
おめでとうと娘を誉めてやった。小生の仕事今年で終了しました。そして埼玉に引っ
越ししました。こんなに忙しい1年はもうないでしょう。来年からはのんびりと好きな
事をしながら暮らしたいです。
11:35 | 日記 | comments(1) | -
若葉^引っ越し
 

若葉引っ越し
6階からの眺め とにかく静かな団地

若葉引っ越し
6階の玄関のドアをあけた眺め 駅まで10分


若葉引っ越し
 
若葉引っ越し

9月30日住み慣れた
立川国立を意を決して離れ埼玉鶴ヶ島市の若葉に引っ越しました。妻と二人で何もかも片づけて整理して来ましたが、妻は和裁関係私は本を充分捨てきれず結構引っ越し荷物も多くなり車2台の引っ越しとなりました。勤務先にも友達にも事前に知らせることもなくこっそり妻と逃げるように転出してきました。私はそんなうしろめたい気持ちでしたが、妻は元気に友達と明るく別れ溌剌としていました。いつも妻は前向きでこんなことでへこたれない力強いところがあって僕が救われることが多々あったような気がしています。夜逃げ本舗という映画がありましたが私は若干そんな気がしてなかなか今回の引っ越しは気が引けたのですが、妻と妻の一番の友人田中さんに強く諭されて決断しました。とにかく田中さんご夫婦には色々と世話になっており今回も何回も奥さんに動いてもらい新転地・若葉に決まったのでした。これで結婚して計7回目の引っ越しとなりました。今回が一番精神的にも年齢的にも疲れた引っ越しでしたが、夫婦二人で手分けして何とか引っ越し早や1ケ月経ちました。妻は落着くとまた孫の世話に出かけると全くタフで元気です。不思議な女性だと最近思うが男見たいところがあって私が女々しいところがあって似合いの夫婦なのでしょうか。銀行の仲間に引っ越ししたことを話しても皆僕をわかってくれて僕の気持ちを察してくれている。たぶんどうしてマイホ−ムを求めて最後は手放して公団に住んでいるのか皆疑問に思ったかもしれない。46年9ケ月の長い長い時を刻んだその結果なのであり、人にはそれぞれの人生・生き方があってもよいのではないかと自問自答しています。一面では経済的に苦しくなって今日に至っているがそれも一因ではあるがそれは結果であって原因でないと思っている。逆に僕の考えが必然的にそうしているのかよくわからない。人生は一度限りなので別の人生をこれからやり直すことはできない。兎に角残り少ない時間を全部自分のために使いたいと思っています。12月末で今の派遣先の仕事も終わりとなり、ついにサラリ−マン生活にピリオッドとなるのです。派遣元には仕事はないのかと依頼しているが70歳の高年齢ではやはりもうないのが現状。少し体を休めて春になったらまた蠢動してみようと思っている。鶴ヶ島市若葉は昭和52年の公団建設ラッシュでできたところ、緑がいっぱいで空気も澄んでおり景観も素晴らしいところでした。都会の喧騒を逃れて静かな街並みに移転したことを「侘びの住家」とたとえたがこの町を1ケ月住んでみて妻も僕も大いに気に入ってます。

  

09:04 | 日記 | comments(3) | -
今年1年の雑感
今年も後1ケ月で過ぎ去ろうとしていますね。時間が年取るに連れて段々早く過ぎ去っていく様な気がしてなりません。今年1年もあっという間でしたが、1年を振り返り今の自分の心情を吐露してみました。まとまりの無い文章になるかと思いますが読んでいただければ幸いと思っています。さてよわい68歳8ケ月を迎えると、仲間との話題になるのは「あと何年生きられるかな」という事でした。気がついてみるといつの間にか寂しい話しになってしまう事が多くなりました。もう過ぎ去った自分を取り戻すことはできない事はわかっていても今になって未練心になってしまいあの時はこうすべきだったあの時はこっちをとるべきだったと反省しながら過ぎ去った出来事に思い巡らしてしまっています。でもそこに留まっているだけでは前進もなく未来もありませんね。私は残された未来に向けてこれからどう生きるべきかを決めて、そして残り人生をその目的に向かって健康を第一に突き進み、楽しみたいと思っています。本当にそう思っています。妻と子供たちとそして今までの友達を大切にして元気に残り人生を歩きたいものです。願わくは、最後の自分の舞台人生を自分なりの名演技でこなして、妻・家族・友達という私と交わってきた観衆のみんなに拍手と喝采を浴びたいものである。
今年一番悲しかったことといえば
それは3月11日の東北大震災の未曾有の大事件でした。私の家族には直接には関係ないことだったかも知れませんが、多くの国民が命を失い一人の日本人として大変胸を痛めた忘れられない災害でした。被災地復興のため「がんばろうー日本!」と国家はじめ各界はこぞってキャンペーンを繰り広げてここまで来ているが、今現在のガレキの山を見るたびに本当に頑張って来たのか疑問が残らざるを得ないと思っています。不謹慎の意見かもしれないがこの災害は神が国民ひとりひとりに与えた試練なのかもしれない。立ち直れるのか本当に復興は進むのかこれは国民一人ひとりに投げかけられた問題でもある。
今年一番苦しかったことといえば
それは私が痛風発作により歩行困難に陥ったことでした。右足が赤く腫れあがり、革靴を履くことが出来なくなる程の痛みと苦しさを味わった事でした。元気な時はその痛み苦しさを忘れてしまい気が着いたときはすでに手遅れとなってしまい、痛み止めの薬をもらいに病院にいく始末となる。妻には自己管理が出来てないと小言を言われる始末でした。今は好きなお酒も断ち、禁酒中とはまったく情けない始末です。
 今年一番つらかったことといえば
それはわたしの痛風発作が原因かもしれないが、通勤時の人ごみ雑踏の街中で歩いても若者たちに後ろから追い越されてしまう現実を見せ付けられてしまったこと。トボトボと歩く姿はまったくつらい今日この頃です。
今年一番頑張ったことといえば
それはやはり毎日自分に仕事が与えられて、その仕事を成し遂げてきた事だと思っています。その裏には勿論妻の協力もありますが、まだまだ若い気持ちで頑張った自分を少しは褒めても良いと思っている。 歩く姿は情けないかも知れないが、頭と手を動かしてもう少し頑張りたいと思っています。
今年一番楽しかったことといえば

小学3年生になった孫の和也が時々遊びに来てくれた事でした。桜の季節、夏の真っ盛りの時に大きな声で「おじいちゃん・おばあちゃん来たよ」と言ったくれた孫でした。よく遊びに来てくれる孫和也。その気持ちをとてもうれしく思っています。だからまず和也に有難うと言おう。そして洋史と昭子さんに有難うと感謝しています。おじいちゃんと和也の楽しい遊び。おばあちゃんと和也の愉快な遊び。そして三人で愉快に楽しく遊ぶ。ふたりの大切な孫和也ありがとう。何時までも今の気持ちを大切にしてくださいよ。
今年一番うれしかったことといえば

それは娘が7年目にして始めて子供を授かり孫が来年7月に誕生になりました。正直言って半分諦めていたなかでの今年最後の一番の朗報となりました。娘よ!ありがとう。頑張って元気な赤ちゃんを産んで早く見せてください。私も妻も大きな元気とうれしい限りの喜びを頂きました。
09:45 | 日記 | comments(2) | trackbacks(0)